【2018年7月】7日目:高速鉄道でタシケントへ~日本人墓地や歴史博物館を訪れました~【ウズベキスタンツアー⑬】

早朝5:15にホテルを出発して、バスに乗ってサマルカンド駅に向かいます。
ホテルで朝食をとれないので、お弁当が配られました。
お弁当の中身は、スティックパン、チーズとハムが挟まったパン、ゆで卵、バナナ、ヨーグルト、ミネラルウオーターでした。

お弁当

出発まで時間があったので、駅のベンチでお弁当を食べます。
ベンチの下から、子猫がじーっと私を見上げてきました。
パンの欠片を落としてみましたが、匂いを嗅いだだけで見向きもしません。
時折、ベンチに身を乗り出して、私の方に前足を伸ばしてきます。
とても可愛かったのですが、病気を持っている可能性があるので、触れません。
ちなみに、同じツアーの男性がハムをやったら食べたそうです。贅沢な子猫です。

子猫

空には雲が出ていました。ヒヴァやブハラは雲一つない青空だったので、サマルカンドはそれに比べたら空中に水分があるのかもしれません。
駅の両替所では、ドル、ユーロ、円、元と両替ができるみたいでした。
両替しようか迷いましたが、スムを使いきれなくなりそうなのでやめました。

 

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高速鉄道アフラシャブ号でタシケントへ

6:35発の高速鉄道アフラシャブ号(2等車)でタシケントに移動します。
この列車は人気で、地元の旅行会社ではチケットの争奪戦なのだそうです。
私たちのツアーは2つの車両に別れて乗車しました。
サマルカンドは始発ではないので、3分でスーツケースを積み込んで、乗り込まないといけません。(スーツケースの積み込みはポーターさんがやってくれました。)
私たちが座るはずの席に先客がいたので、「席を間違えてませんか? ここは私たちの席です」と言ったら、そそくさと去っていきました。自由席の人が座っていたのかもしれません。

高速鉄道アフラシャブ号

乗車時間は約2時間です。サービスでデニッシュが配られます。
車内販売でコーヒーを頼めますが、お値段は少し高めです。

デニッシュ

タシケントに到着

スーツケースはツアーの男性陣が協力して、荷台から下してくれました。皆さん、紳士です。

タシケント駅

日本人墓地

ムスリム墓地の一角に、日本人墓地があります。
第二次世界大戦後にソ連に強制連行されて、ウズベキスタンで亡くなった方が眠っています。
政治家で元ウズベキスタン大使の中山恭子さんが贈ったという桜が植えられていました。
添乗員さんがお線香を持ってきていて、参加者で1本ずつお線香を上げました。

日本人墓地

イスラム教は1人ずつ土葬されるそうで、墓石には亡くなった方の顔と月と星が彫られていました。

 

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タシケントのスーパーマーケットへ

途中、スーパーマーケットに立ち寄りました。
結構大きくて、いろいろな物を売っていました。
私はスムが残り少なかったので、食後にいつも出てくるお茶の葉(3290スム)だけ買いました。
もう10ドル両替しておいてもよかったかなぁ…

タシケントのスーパーマーケット

ウズベキスタン歴史博物館

3階には石器時代からウズベク3ハン国までの展示で、ガイドさんの説明を聞きながら見学しました。
4階は近代の展示で、自由に見て回りました。幅広い時代の展示物があって、興味深かったです。
ここのお手洗いは壁が緑のシースルーで斬新でした。

ウズベキスタン歴史博物館

※ブログ内の物価は当時のものです。

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【2018年7月】6日目の続き:サマルカンド観光~グル・アミール廟、シャーヒズィンダ廟群~【ウズベキスタンツアー⑫】

ショブ・バザール

ビビハニム・モスクのすぐ近くにあるバザールです。
ドライフルーツや香辛料、お菓子などが売られています。
私は白い干しぶどう(500グラムで25000スム)とドライメロン(1枚5000スム)を買いました。
細かいお札を使っておきたかったので、3700スム(多分)をお店の人に渡して「これだけ分のヌガーがほしい」と言ったら、適当に切って分けてくれました。
お手洗いチップに1000スムかかる場合があるので、1000スム札は数枚とっておきました。

ショブ・バザール

また、洋服を売っているお店で、Tシャツ(5ドル)を買いました。

ショブ・バザール

 

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レストランで昼食

きれいなレストランでした。
突然暗くなったので、「サマルカンドでも停電っ!?」と思いきや、隣のテーブルでハッピーバースデーのサプライズイベントをしていました。

レストランで昼食

メニューは、サマルカンドナン、炒め物、揚げ物、サラダ、スープ、肉料理、デザート(スイカとメロン)です。白ワインは15000スムでした。
美味しかったです。

レストランで昼食

グル・アミール廟(アミール・ティムール廟)

ティムールと息子、先生のお墓です。
ティムールは「先生の足元で眠りたい」と遺言した通り、先生の足もとの黒い棺で眠っています。
本物のお墓は地下にあるので、私たちが見たのはレプリカです。
後世の人はティムールの祟りを恐れて墓荒らしをしなかったそうです。

グル・アミール廟(アミール・ティムール廟)

 

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シャーヒ・ズィンダ廟群

アフラシャブの丘にあるサマルカンド有数の聖地で、ティムールの縁の人々の霊廟が並んでいます。
「天国への階段」と呼ばれている階段があり、上る時と降りる時に階段の数を数えて、同じ数なら天国へ行けるそうです。
もし、数が違っていたら地獄行きなので、日頃の行いを反省して謹んで、再度数えてみるのだとか。

シャーヒ・ズィンダ廟群

階段を上がると、そこはまさに「青の都」でした。
ずらりと並ぶ霊廟が壮観です。
恥ずかしながら、実際に訪れるまで、こんな素晴らしい場所があるとは知りませんでした。

シャーヒ・ズィンダ廟群

近くに郵便局があったので、自由時間にポストカード(5000スム)を2枚買いました。
ホテルに戻って、休憩時間の間にポストカードを書いて、ホテルのフロントに渡しました。

レストランで夕食

メニューは、サラダ、サマルカンドナン、揚げ物、炒め物、スープ(クルトンを入れます)、メイン(鶏料理、トマトとカリフラワー、ご飯)、デザート(アップルパイとアイスクリーム)です。
アップルパイが素朴な味で美味しかったです。
スムが少なくなってきたのと、翌朝出発が早いので、お酒は止めておきました。

レストランで夕食

翌朝は4:00起きでタシケントに向かいます。

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【2018年7月】6日目:サマルカンド観光~レギスタン広場やビビハニム・モスク~【ウズベキスタンツアー⑪】

朝食はホテルのバイキングです。
レタスとスープが嬉しいです。
一口サイズのお菓子がいろいろあって、美味しかったです。
飲み物はあまり冷えていないことが多かったですが、ここのリンゴジュースは少し冷たかったです。

朝食はホテルのバイキング

いよいよ、「青の都」サマルカンドの観光です。
サマルカンドは世界遺産に登録されています。

レギスタン広場

夜景も素敵でしたが、太陽の下で見ても素敵でした。(写真ではいまいち伝わらないのが残念です。)
下車観光の予定でしたが、地元の旅行会社のサービスで入場することができました。

レギスタン広場

メドレセの中にはお土産物屋さんがあり、お皿やクリスマスツリーの飾り、タイル、サマルカンドペーパーなどが売られていました。
切手を売っているお店があったので、切手を3500スム分(450スム×2枚、1300スム×2枚)買いました。

メドレセの中のお土産物屋さんがあり

 

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ティラカリ・メドレセ

広場中央の神学校で、1660年に建てられました。
「ティラカリ」とは「金箔された」と言う意味で、名前にふさわしい絢爛豪華な内装でした。

ティラカリ・メドレセ

ウルグベク・メドレセ

広場の向かって左側の神学校で、1420年に建てられました。
ティムール朝の4代目君主のウルグベクは天文学者でもあり、自ら教壇に立ったそうです。

ウルグベク・メドレセ

シェルドル・メドレセ

広場の向かって右側の神学校で、1636年に建てられました。
虎のような豹のような獅子のような生き物が白い鹿を追いかけています。
ガイドさんによると、イスラム教は偶像崇拝禁止のため、あえて実在しない動物の姿にして言い訳をしているのだそうです。また、白い鹿は近隣諸国を現していて、いずれ征服するという意味が込められているのだとか。

シェルドル・メドレセ

ブハラのナディール・ディヴァンベギ・メドレセもそうですが、こういう唯一絶対の神に対する禁忌を犯すデザインって、なんだかドキドキします。

 

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チャイハネで休憩

工事中の道路を通って、チャイハネで一休みです。
熱いお茶とクッキーをいただきました。

チャイハネで休憩

小さな猫がいました。

小さな猫

ビビハニム・モスク

ティムールの正妻・ビビハニムが建てたモスクです。
建築を急がせるために建築家にキスを許したら、ビビハニムの頬に痕が残ってしまったとの伝説があります。
ガイドブックでは怒ったティムールが妃も建築家も死刑にしたとの言い伝えが紹介されていますが、ガイドさんの話してくれた説は少し違いました。

ビビハニムはモンゴル帝国かどこかのお姫様だったこともあり、ティムールは殺したくなかった。それ以後、女性は体を布で覆って顔を見せることを禁じられた。建築家は発明家でもあり、塔から突き落されて死刑になるはずが、翼を隠し持っていて飛んで逃げた。
…と、いうのがガイドさんの説明です。私はこちらの方が面白いなぁと思います。
なお、ティムールの奥さんは「20人“しか”いなかった」そうです。

ビビハニム・モスク

中庭には大理石のラウヒ(書見台)があります。世界最古のコーラン「オスマン・クラーン」が置かれていたそうですが、現在は博物館に展示されているそうです。

※ブログ内の物価は当時のものです。

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